2021-06

日本史

白鳥由栄 昭和の脱獄王 4度の脱獄に成功した男

「昭和の脱獄王」の異名を持つ白鳥由栄は”脱獄不能”と言われていた4つの刑務所から脱獄を敢行し、看守の間では「一世を風靡した男」とも言われた人物です。身長は157㎝と当時としても小柄な体格でしたが、収監中に手首につけられた鎖を引きちぎったり、身体中の関節を自在に外したりと、とんでもない特異体質な人間でもありました。またこの白鳥由栄も前回紹介した伝説の柔道家牛島辰熊と同じく人気漫画「ゴールデンカムイ」の登場人物である”白石由竹”のモデルでもあります。はたして脱獄と収監を繰り返した脱獄王とはいったいどんな奴だったのでしょうか。
カナダ史

カナディアン・チューリップ・フェスティバルの起源 カナダとオランダの友情の証

『チューリップの国』と言えばオランダ。でも、カナダの首都オタワでも毎年100万本のチューリップが咲き誇り、5月には世界最大級のチューリップ・フェスティバル『Canadian Tulip Festival』が行われているのです。このチューリップ・フェスティバルは来年2022年に70周年を迎えます。では、このフェスティバルはいったいどのようにして始まったのでしょうか?その背景にはチューリップの国オランダとカナダとの温かい友情と人道支援の深い歴史があったのです。
幕末

武田物外 幕末の志士たちを唸らせた怪力和尚

身長173センチメートル、体重63キログラム。江戸時代の男としては十分立派な体格ですが、現代ではそれほど特別サイズではありません。しかし曹洞宗禅僧にして武芸者、剣術、柔術、鎖鎌、槍術に優れ、そして700キロはあるとおもわれる寺の梵鐘を担ぎ上げ、碁盤に拳を打ち込んで1.5センチの凹みをつくるという怪力の持ち主。そんな途方もない男が実在したのです。その名は武田物外(たけだもつがい)。新選組局長・近藤勇をも圧倒した拳骨和尚。その生涯をお伝えします。
江戸時代

松倉重政 島原の乱を引き起こした暴君

日本最大規模の一揆といわれる島原の乱(天草一揆)と聞いて、総大将の天草四郎(益田四郎時貞)が頭に浮かぶ方は多いと思いますが、反乱発生の原因を作ったとされる松倉重政をご存じの方は少ないのではないでしょうか。松倉重政はかつては大和国の戦国大名である筒井定次に仕えました。関ヶ原の戦いののち、大和国五条藩主に取り立てられ大名になります。さらに大坂夏の陣での戦功により肥前国日野江において4万3千石を与えられ出世を遂げました。一方、日野江藩主(のちの島原藩)となってからは、キリシタンの弾圧や厳しい年貢の取り立てなど領民の怒りを買い、島原の乱を引き起こす原因を作ってしまいます。今回はそんな浮き沈みのある人生を送った松倉重政の生涯を振り返ってみましょう。
南北朝時代

懐良親王 ”日本国王”となった超・武闘派皇子

明治維新、時の政府は徳川武家政権を倒し、一時的にせよ天皇親政の形式をとったものであったことから、いにしえの後醍醐天皇の建武の新政を神聖視し、それにかかわるモニュメントを多数作りました。皇居前に忠臣、楠木正成像が置かれたことはそのひとつの象徴です。さらに後醍醐天皇自身やその親王らを祀る神社がいくつも創建されました。「建武中興十五社」と呼ばれています。後醍醐天皇を祀る吉野神社、尊良、恒良両親王を祀る金崎宮、護良親王を祀る鎌倉宮などは有名ですね。九州、熊本県八代市にも懐良親王を祀る八代宮があります。八代には懐良親王の墓所があり、地元民からの強い創建運動が起り明治政府がそれを認めたのでした。その懐良親王とはどんな親王だったのでしょうか。武に優れそして文にも優れた親王についてお伝えします。
西洋史

マリア・テレジア ハプスブルク家の女帝 マリー・アントワネットの母

名家ハプスブルク家の家領を引き継ぎ、多民族国家でもあったオーストリア帝国をその政治的手腕によって中央集権化を果たした「女帝」マリア・テレジアです。宿敵となるプロイセン王フリードリヒ2世とは愛憎渦巻く関係ながらもオーストリア帝国存続の為に激戦を繰り広げます。一方で彼女は63年間の生涯で16人も出産しているという、とんでもない「肝っ玉母さん」でもありました。今回はまさに”母は強し”の人生を地で行った女帝の生涯を見ていきましょう。
日本史

ジョルジュ・ビゴー 明治日本を見つめたフランス人画家

日本の義務教育を受け、歴史の教科書を手に取ったことがある人なら一度は見たことがある明治日本の風刺画はこのビゴーによって描かれたものがほとんどです。我々の知るビゴーのイラストの多くは日本を蔑視・批判したようなものが多いため、彼が反日本的な人物と思いがちですが、日本で撮影した写真から見て分かるとおり彼自身は大の親日家でした。彼は日本に滞在した17年間で懸命に働く庶民の姿と美しい景観をつぶさに記録しており、繊細で色鮮やかな作品も多く残しています。彼が描いた風刺画の批判は悪魔で日本の急進的な西欧化であり、日本という国自体には深い愛情を抱いていたことがわかります。今回はそんなちょっと変わったあるフランス人画家の人生を辿っていきたいと思います。
アメリカ史

ハワイ王国最後の王位継承者 プリンセス・カイウラニ

日本人の人気海外旅行先といえばハワイですが、かつてはアメリカ領ではなくハワイ王国として隆盛を誇っていました。しかし近代に差し掛かると太平洋にまで勢力を拡大するアメリカには対抗できず対米従属を余儀なくされます。そして1893年1月17日、ハワイ王国はアメリカ系住民により崩壊させられることとなり、わずか100年足らずでハワイ王国は消滅への道を歩むこととなります。今回紹介するカイウラニはそんな激動のハワイ王国最後の継承者として短くも悲しい運命を辿ることとなります。美しくも儚いハワイ王国最後のプリンセスの生涯とは果たしていったいどんなものだったのかをみなさんと一緒に追っていこうと思います。
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