2021-09

健康・心と身体

納豆の歴史 【日本古来の発酵食を調べる】

日本人に馴染み深い食べ物「納豆」。納豆は好き嫌いが分かれるものの、日本人の中では納豆が好きな人はとても多く、味だけではなく健康にも良いので日本の朝食でよく食べられています。 そんな納豆ですが、歴史を探っていくといろいろな諸説が実はあるのです!また、納豆といえば日本の食べ物というイメージが強いですが、海外でも納豆が食べられており、国ごとに特徴がちがうのです。今回は納豆の歴史や世界の納豆を知って、馴染み深い納豆について詳しくなっていきましょう。
江戸時代

国友一貫斎 【東洋のエジソンと呼ばれた江戸時代の奇才】

みなさんは「国友一貫斎」と言う人物をご存知でしょうか?江戸時代中期に活躍した発明家で、日本で初めて空気銃、反射望遠鏡の開発に成功しました。また月や土星、太陽と、星を観測した際のスケッチが残っていることから、物の発明だけでなく、天文学にも携わっていたことが分かります。江戸時代に様々な物の発見、発明をした国友一貫斎。本記事では、彼がどのような生涯を送ったのか見ていきます。
戦国時代

津田清幽 【石田三成の三男を救うべく家康に直訴した侍】

慶長5年の1600年9月15日(西暦1600年10月21日)に徳川家康は天下分け目の関ヶ原の戦いにて勝利すると、翌日、2万を超える軍勢を石田三成の居城である佐和山城に差し向けこれを包囲します。この時、籠城する佐和山城の一角を守備していた兵の中にかつて家康に仕えていた武将が今回紹介する津田清幽です。この清幽、なんとこの佐和山城落城を巡る東軍の不義に怒りが爆発し、家康の本陣まで乗り込んだという剛直の士でありました。今回はそんな剛直の士についてお話していきます。
南北朝時代

真弓広有 【怪鳥・以津真天を射ち倒した弓の名手】

後醍醐天皇が建武の新政を始めた1334年ごろ、内裏の正殿である紫宸殿の屋根の上に鳥の姿をした妖怪「以津真天(いつまで)」が毎晩現れるようになります。この妖怪により京都では疫病が起こり困った公卿たちは、弓の名手として名を馳せていた「真弓広有」に怪鳥退治を依頼します。そして、広有は見事期待に応え怪鳥を仕留めることに成功します。今回は、京都に疫病をもたらした怪鳥「以津真天」を得意の弓で退治した真弓広有にスポットライトを当てていこうと思います。
日本史

中村天風 【あの大活躍メジャーリーガーも学んだ稀代の伝道師】

1919年(大正8年)に創立された財団「天風会」は、中村天風が「命の力」を発揮するために考案した「心身統一法」の普及と啓蒙活動を行っています。これは何を目指すものかといいますと、幸せで充実した毎日を過ごし、「成功と繁栄」、「健康と長寿」、「心の平安と安心」という3つの幸せをつかみとろうということなのです。心身統一法は、心と体の両面の多岐にわたる方法からなっており、普段の生活を送りながら、積極的な心をつくり、健康な身体をつくっていくことができるようになるものと言われています。この心身統一法を考案した、財団の名前にもなっている中村天風、本名中村三郎、1876年(明治9年)に生まれ、1968年(昭和43年)に92歳で亡くなったその人の波乱の人生をご紹介しましょう。
サブカルチャー

トーベ・ヤンソン ムーミンを作ったフィンランドの女性作家

トーベ・ヤンソンは人気キャラクター「ムーミン」を作った小説家です。日本においてはTV アニメで親しまれていますが、始まりは小説となります。また日本で製作されたテレビシリーズ3作目の「たのしいムーミン一家」が好評となり、そこから世界60か国に放送され人気を博したという経緯があります。小説のほかムーミンの絵本やコミックも手掛けたトーベ・ヤンソンですが、2001年86歳で亡くなるまでムーミンのさまざまな活動に精力的に携わっています。今回はムーミンを作ったフィンランドの女性小説家トーベ・ヤンソンの生涯についてです。
タイトルとURLをコピーしました