三国志人物伝 第十回 韓浩
中原の覇者となった曹操ですが、その最初のきっかけである「魏武の強」の始まりは百万人近くの元黄巾族の兵士・流民を手中に収めてからだといいます。しかし、同時に食糧不足という問題に直面し、曹操を悩ませました。実際後漢の興平元年(194年)には蝗害と旱魃のため穀物の値段は1石50万余銭にもなり、中原一帯では人が人を食らう状態になっていました。 そんな状況を打開すべく、今回紹介する韓浩は屯田制を曹操に提言した人物です。 この屯田制が後に曹操が官渡の戦いで勝利できた一因であり、「安定した兵糧の確保」の重要性を証明しています。(それでも官渡の際はギリギリの兵糧であったといいますが...。) また韓浩は曹操の右腕であった夏候惇とちょっとしたエピソードがあるので併せて紹介していきたいと思います。