日本史

戦国時代

戦国武将伝 第八回 真田信綱

真田家と言えば智謀の士のイメージが強いですが、今回紹介する真田信綱は武勇で知られていた人物です。信綱は幼い頃から父・幸隆(幸綱)と共に武田信玄に仕え、真田家の家督を継ぐと三尺三寸の大太刀を振るい武田家の勢力拡大に貢献します。また信綱率いる騎馬隊約200騎は信濃領主の中では最大であり、最強と謳われた武田騎馬軍の一角を担っていたことが分かります。今回は武勇によって真田の名を知らしめた信綱の活躍に注目していきたいと思います。
戦国時代

戦国武将伝 第七回 斎藤朝信

上杉謙信に仕えて「越後の鐘馗」の異名をとった斎藤朝信です。朝信は謙信政権下で政務奉行を務め、軍制上では上杉家精鋭部隊・七手組の隊頭でもありました。文武両方に優れた朝信は武骨者の多い上杉家にとって頼もしい存在であり、謙信の重臣として厚い信頼を受けています。今回は忠義、仁愛を重んじ、士卒をいたわり、百姓をいつくしみ万人から慕われた斎藤朝信の人生を追いかけて見ようと思います。
戦国時代

戦国武将伝 第六回 依田信蕃

本能寺の変の後、旧武田領である甲斐・信濃は空白地となり周辺大名の争奪戦が繰り広げられます。いわゆる「天正壬午の乱」です。最終的に徳川家康がこの戦いを制し、後の天下人への足掛かりを得るわけですが、そのきっかけを作ったのがこの依田信蕃です。彼は旧武田家臣でありながら主家滅亡後家康に仕え、甲斐・信濃を転戦。信蕃の活躍により徳川家は五ヶ国を領有する大大名へと成長します。これにより家康は秀吉と対等に小牧・長久手にて戦うことが可能となったのです。今回は家康の天下を陰ながら切り開いた男・依田信蕃の生涯に迫ります。
戦国時代

戦国武将伝 第五回 黒川晴氏

名門・奥州大崎氏に属し、伊達政宗の奥州制覇を打ち破った東北の名将です。黒川家は元々大崎家の支流であるため大崎の配下に思われていますが、実際には主君と家臣の関係ではなく、大崎領と伊達領の間に位置する黒川郡を領した独立した戦国大名でもありました。今回は伊達・大崎の間で知略を尽くし「大崎合戦」を制した晴氏とはどんな人物であったかスポットを当てていこうと思います。
戦国時代

戦国武将伝 第四回 長宗我部信親

「土佐の出来人」と称された長宗我部元親の嫡子で、幼少の頃より聡明であったため父や家臣達から将来を有望視されるものの、戸津川の戦いにて壮絶な戦死を遂げてしまう悲劇の若武者です。彼の死後、父の元親は情緒不安定となり、長宗我部家滅亡の遠因を作ってしまいます。今回はそんな将来を大いに嘱望されながらも無念の死を遂げた彼の生涯を見ていきます。
戦国時代

戦国武将伝 第三回 堀秀政

名人久太郎」と呼ばれ信長から寵愛を受けた堀秀政です。幼い頃より信長の側近衆の一人として重要され、信長死後は秀吉の家臣として天下統一まで活躍しますが、若くしてこの世を去っています。外交から合戦、内政までなんでもそつなくこなし「名人」と呼ばれた秀政、そんな「名人」の生き様を今回は紹介していきたいと思います。
戦国時代

戦国武将伝 第二回 志賀親次

「天正の楠木」と敵味方からも絶賛され、滅亡の危機に直面していた大友家を支えた名将です。 また親次は大友宗麟の孫に当たり、その影響を受けてか敬虔なキリシタンでもありました。 しかし大友家は反キリスト教の武将も多く、親次も周囲から批難を受けたり、後年は改易の憂目にあったり、晩年については謎が多かったりと、なかなか波乱万丈な生涯を送っています。
戦国時代

戦国武将伝 第一回 古田重然

漫画「へうげもの」で一躍知名度をあげた古田織部重然です。織田信長に仕え、千利休に師事し、いわゆる「織部好み」を大成させた彼ですが、初期の頃は茶人と言うより武人寄りな人物で、生涯を通して多くの戦場に赴いています。また晩年は徳川幕府から動向を監視されているのを見ると、師である利休と同じく大変影響を持った人物であったことが伺えます。今回はそんな「へうげもの」の志を貫いた彼の人生に迫っていきます。
タイトルとURLをコピーしました