南北朝時代

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北条時行〜足利尊氏を悩ませた逃げ上手の若君〜

時は1333年。鎌倉幕府の滅亡後、政変に揺れる日本において、ひたむきに鎌倉奪還を狙う男がいました。その名は北条時行。彼は後醍醐天皇による倒幕運動「元弘の乱」で命を失った父・高時と仲間の仇を討つため人生のすべてを北条氏復興に注ぎます。2021年より週刊少年ジャンプで連載が開始された話題沸騰中の「逃げ上手の若君」でこの時行を知ったという方も多いのではないでしょうか?歴史の授業ではあまり触れられない人物だけに謎も多く、どんなことを成し遂げたのか知りたいという方も多いでしょう。そこで今回は「逃げ上手の若君」北条時行がどんな人物であったのかご紹介していきます。
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懐良親王 ”日本国王”となった超・武闘派皇子

明治維新、時の政府は徳川武家政権を倒し、一時的にせよ天皇親政の形式をとったものであったことから、いにしえの後醍醐天皇の建武の新政を神聖視し、それにかかわるモニュメントを多数作りました。皇居前に忠臣、楠木正成像が置かれたことはそのひとつの象徴です。さらに後醍醐天皇自身やその親王らを祀る神社がいくつも創建されました。「建武中興十五社」と呼ばれています。後醍醐天皇を祀る吉野神社、尊良、恒良両親王を祀る金崎宮、護良親王を祀る鎌倉宮などは有名ですね。九州、熊本県八代市にも懐良親王を祀る八代宮があります。八代には懐良親王の墓所があり、地元民からの強い創建運動が起り明治政府がそれを認めたのでした。その懐良親王とはどんな親王だったのでしょうか。武に優れそして文にも優れた親王についてお伝えします。
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足利直冬~将軍に背いた御落胤~

古今東西、時の権力者には御落胤(隠し子)の噂というものは絶えないものですが、今回紹介する足利直冬は尊氏から長い間実子と認知されず、最終的に父親に真っ向から弓を引いたという日本史において大変珍しい人物ですが、武将としての力量は父・尊氏に劣らず優秀であり、もし直冬が正式な嫡子として誕生していたなら南北朝の動乱もここまで激化しなかったのではないでしょうか。今回は将軍の御落胤として実父を最後まで苦しめた叛逆の貴公子の生涯に迫ります。
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