ナポレオンはフリーメイソンだったのか調べてみた。

ナポレオンはフリーメイソンだったのか調べてみた。フランス史

世の中で何か大きな事件が起これば、度々注目される秘密結社といえば「フリーメイソン」が有名ですが、実際に多くの歴史的人物が所属しており、陰謀論などのネタとしては尽きない存在となっています。そんな中、今回はフランス革命の動乱から皇帝まで登り詰めた英雄「ナポレオン・ボナパルト」が秘密結社フリーメイソンと関係があったのか少し気になったので記事にしてみました。

フリーメイソンとは?

16世紀後半から17世紀初頭にイギリスで結成された友愛組織(秘密結社)。元々は石工組合やテンプル騎士団であったとも言われていますが、諸説があり起源について詳しいことは分かっていません。その後、瞬く間にヨーロッパに浸透し、次第に多くの貴族や知識人が加入。職人団体から秘密結社へと変化していったと言われています。

フリーメイソンのシンボル※wikipediaより

「自由」「平等」「友愛」「寛容」「人道」の5つの基本理念に従い、相互扶助と社会貢献を目的とした組織ですが、厳しい守秘義務を課しているため、歪んだイメージを持つ人は昔から少なからず存在しています。(※有名な”プロビデンスの目”は古くから用いられており、フリーメイソンのシンボルというわけではない)

プロビデンスの目

一方で西洋史において深い関わりを持つ組織であることは事実であり、現在も全世界に600万人近くの会員が在籍していると言われています。

フランス革命とフリーメイソン

フリーメイソンが広まった時期は、絶対王政から啓蒙君主、市民革命へと政治的な激動が続く時代でした。もともと、フランスにはフリーメイソンの非正規ロッジである「フランス大東社(グラントリアン)」が存在しており、フランス革命の関係者の多くが、この非正規ロッジに所属していました。フランス革命で使われた標語 「自由」 「平等」 「博愛」の精神は上述のフリーメイソンの5つの基本理念から参考にしたと言われています。

フランス人権宣言

また、カトリック教とフランス大東社は古くから対立関係にあったと言われており、フランス革命の原因の一つであったカトリック教会の汚職や上級聖職者の富の占有に対する抗議者の中に、フランス大東社に所属する多くの者が革命運動に参画していたのではないかと考えられています。

米仏両国の革命に関与したラファイエット公

ただし、フランス革命勃発の背景は植民地の縮小、アメリカ独立戦争支援での財政圧迫や上述のカトリック教会の腐敗などの社会的不安定が背景となっており、”フリーメイソンによって革命が起こされた”と考えるのはあまりにも早計ですし、革命以前から多くの王族や貴族が大東社のロッジに所属しています。

ナポレオンとフリーメイソン

さて、今回のテーマである「ナポレオンはフリーメイソンだったのか?」ということなんですが、フリーメイソンだった可能性は高いと思われます。これに関しては筆者の個人的な感想も交えての憶測もありますので、あくまでも見解の一つとして見てもらえればいいかと思います。

まず、「コルシカの成り上がり者」と呼ばれていたナポレオンはもともと貧しい下級貴族出身であり、最初からボナパルト家がフリーメイソンに所属していた訳ではなく、ナポレオンが出世するにしたがってフリーメイソンに加入したと考えられます。

地球儀を眺める学生時代のナポレオン

もともとナポレオンは建築、数学、歴史や地学などが得意であり、合理主義者でした。また、彼の宗教観に関してはカトリック教徒としては優等生とは言い難く、個人的な問題行為も多いものでした。最終的にフランス帝国発足後の1809年には教皇領併合を巡ってピウス7世に破門されています。

一方、フリーメイソンは18世紀には合理主義と神秘主義が上手く融合し、所属していた著名人などにより様々な分野で成果を生み出していました。また、理神論的な見解を持つフリーメイソンは常に神が中心となるカトリック教より、合理主義者のナポレオンにとっては馴染み易い価値観であったと思われます。

コンコルダの締結

ただ、ナポレオンが全くカトリック教を完全に否定していたかと言うとそうではなく、フランス革命によって荒廃していたカトリック教を復興させた(※コンコルダの締結)のも彼であり、宗教問題の解決が自分の権力の強化に繋がることを見抜いていた”合理主義者であり政治家”であるナポレオンの抜け目のなさが見て取れます。

天上の”神”を各宗派に指し示すナポレオン

また、ナポレオンが作り上げた宗教制度に”公認宗教体制”というものがあるのですが、これはキリスト教以外の宗教の礼拝、選択の自由を許可し、紛争や抑圧を回避し、各国民が安心して日常の信仰生活を送れるように制定したものなのですが、これはフリーメイソンの中核的な思想である「様々な宗派の壁を乗り越え、相互に差異を認め合いながら、全てのものが同意できる宗教」という部分からナポレオンは発想を得たのではないかと思います。

ナポレオンはどこで加入したのか?

ではナポレオンは一体いつどこのロッジでフリーメイソンに入会したのでしょうか?実はこのことに関しては今も論争が続けられており、はっきりとした答えは出ていません。今のところ有力な説は二つあり、1つは1795年から1798年の間にマルタ島のフィラデルフィアロッジにて入会したという説です。

もう一つの説が1798年のエジプト遠征中にて入会したという説です。筆者としてはこちらの方が有力ではないかと考えているのですが、理由としてはフリーメイソンの起源の一つにピラミッドの造営が関わっているからです。

ピラミッドを目指すナポレオン

実際にナポレオンは東方文明に強い関心を示しており、ギザでクフ王のピラミッドに登頂したと言われています。また、ナポレオンはこの遠征に多くの学術調査団を同行させていますが、この調査団の一部がフリーメイソン会員であり、カイロ、またはアレクサンドリアにてロッジを開設し、ナポレオンは入会したのではないかと推測します。

加入証書はどこへいったのか?

ナポレオンがフリーメイソンであったのなら何か証拠が残っているのでは?と、ここまで読んで思った方も多いと思うのですが、ナポレオンの加入を記録した証書はフランスのどのロッジを探しても見当たらず、他のロッジの加入記録にも彼の名前は記されていません。

フリーメイソンでは基本的に所属していたロッジの格式と加入した日付が古いほど良いとされているので、もしナポレオンが正規の会員であったのなら異常なことなのです。

ナポレオンはエジプトにて何を求めたのか?

ここで考えられるのが、上述のエジプト遠征での加入説です。このエジプト遠征でナポレオンは本国フランスの危機のため、数万人の将兵をエジプトに残して急遽一部の部下たちとフランスへ帰国しています。

この帰国はあまりナポレオンにとって良い思い出ではなかったようで(※実際に敵前逃亡とみなされます)、この行動を批判されることを恐れていたと言います。この際にナポレオンは自分が加入した証書をエジプトに放置していったのではないでしょうか?

イギリスによって書かれたエジプト脱出の風刺画

もし、この説が正しいなら、ナポレオンにとってフリーメイソンは出世のためのステータス、またはパフォーマンスに過ぎず、エジプトですでに入会の儀式を終えた自分にとってフランスのロッジの所属などはどうでもよかったとも見て取れます。

しかし、後に説明するナポレオンの兄弟たちがフリーメイソンの重要なポジションについていることを考えると、決して軽視していた訳ではなく、むしろ重要視していたことを考えるとナポレオンはフリーメイソンに対してどのような感情を抱いていたは現在も謎のままです。

ナポレオンのフリーメイソン関係者

ここからはナポレオンと関係のあったフリーメイソンの人物を上げていこうかと思います。実際にナポレオンがフランス国内で権力を掌握して以降、ナポレオン体制がフランスのフリーメイソンと結びついていることがよくわかると思います。

ジョセフ・ボナパルト

まず最初にナポレオンの兄弟たちです。ボナパルト家の長男であり、ナポレオンの兄であるジョセフはナポレオンを支えスペイン王となった人物ですが、フランス帝国発足後、ナポレオンによりグラントリアンのグランドマスターに任命されています。

リュシアン・ボナパルト

ボナパルト家三男のリュシアンは会員であったそうですが、特に高い位に着いたとは記述されていません。ナポレオンが第一統領となってから以後不仲となっているのが影響していると思われます。

ナポレオン三世

四男のルイは副グランドマスターに任命され、息子であるナポレオン3世も会員となっています。五男のジェロームは現ドイツのヴェストファーレンのグランドマスターに任命されました。

カンバセレス

統領政府時代に第二統領の地位にあったジャン=ジャック・レジ・ド・カンバセレスも大東社の有力会員だったと言わており、有名なナポレオン法典の起草にも携わっています。ナポレオンの皇帝即位後は帝国顕官大法官兼元老院議長の要職に就き、メイソン会員としてはジョセフの補佐官を務めました。

アーサー・ウェルズリー

ナポレオンと戦った相手で有名なフリーメイソン会員は英国のアーサー・ウェルズリー(ウェリントン公爵)がいます。彼の父親と兄はトリム・ロッジのマスターを務める家系で、ウェリントン公もおのずと所属しています。ワーテルローの戦いでナポレオンを撃破し引導を渡しました。

おわりに

結果としてフランス大東社はナポレオン体制と大きく結びつくことになりましたが、フランス帝国崩壊後に共に大きな打撃を受けることになり、回復には大きな時間を要することになってしまいます。

ただ、筆者としてはナポレオンがフリーメイソンに所属してたしてないどちらにせよ彼にとってフリーメイソンという組織も彼の野望成就のための道具のひとつであったかのように見えました。ただ、ナポレオンとフリーメイソンとの関係に関しては加入証書の件も含めて、まだまだ謎が多い部分が多いので今後の調査の進展に期待しています。

ちなみに現在もフランスフリーメイソン本部は大東社跡に現存しており、博物館も兼ねた施設となっています。もし、今回の記事を読んで興味を持った方はぜひ調べてみてくださいね。

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