日本史

荒尾精 日中連携によるアジアの保全を志した男

19世紀、ヨーロッパ列強による植民地獲得戦争はアジアにまで飛び火し「眠れる獅子」と噂されていた清帝国が日本との「日清戦争」に敗北すると西欧列強はここぞとばかりに中国大陸の獲得に乗り出します。また日本も例外ではなくこの戦いでの勝利により多額の賠償金と遼東半島の一部を清より要求し弱小国から大国への足掛かりとします。しかし、そんな日本の要求に「待った」を掛けたのが今回紹介する荒尾精です。荒尾はこの要求は日中両国に将来大きな禍根を残すことを危惧し、明治政府及び一般大衆に向けて「対清意見」という本を刊行し、世間に警告を発します。当時、荒尾はアジアが一丸となって協力し合わなければならないという思想を持っており、そのためには日中の提携が不可欠であると考えていたからです。今回はそんなアジアの平和のために一命を投げ打った稀代の傑物・荒尾精に迫りたいと思います。
アメリカ史

ジョシュア・ノートン ~偉大なるアメリカ合衆国皇帝~

アメリカは共和制なので君主を持たない国家なのですが、突如19世紀のサンフランシスコにて皇帝を宣言したのがこのノートンです。当然最初は狂人のたわごとぐらいにしか思われていませんでしたが、アメリカ人特有のノリの良さなのか周りの人間は次第に彼を本当の皇帝のように扱うようになっていき、最終的にノートンは多くのサンフランシスコ市民から支持を受けるようになります。またノートンの発した「勅命」の中には後年実際に果たされたものもあり、なかなか先見性を備えていた人物でもありました。今回は唯一アメリカに「皇帝」として君臨した男の人生を見ていこうと思います。
健康・心と身体

薄毛になる原因を考えてみる

日本にはハゲ・薄毛の男性が約1300万いると言われており、これは日本の成人男性の約3人に1人の割合です。ある程度は加齢によるものもあり仕方ない部分はありますが、若くして薄毛であるとそれが原因となり本人の人生に大きな影響を及ぼす可能性もあります。また最近は女性の薄毛も年々上昇傾向にあり男性だけの問題でなくなりつつあります。今回はそんな薄毛の原因について個人的に思ったことなどについて書いていきたいと思います。
戦国時代

戦国武将伝 第十回 正木時茂

関東の雄である北条氏と熾烈な争いを続けた里見家。その里見家の全盛期を支えたのが「槍の大膳」の異名を取った正木時茂です。時茂は里見義堯に仕え第一次国府台合戦や上杉謙信の小田原包囲陣などで活躍し、敵方である北条氏康から「八州の弓取り」と評されるほどでした。また房総からは遠くはなれた越前国の武将・朝倉宗滴からも高く評価されています。
戦国時代

戦国武将伝 第九回 伊集院忠棟

島津家の筆頭家老でありながらも薩摩の「国賊」のレッテルを貼れら謀殺されてしまった伊集院忠棟です。そんな不名誉なレッテルを貼られた彼ですが、実際には筆頭家老として内政を取り仕切り、茶の湯・歌道に通じていたため上方の武将と親交があり世の情勢に深く通じてもいました。また彼の死が関ヶ原の戦いの際に島津家が少数の軍勢しか動員できなかった遠因ともなっています。
戦国時代

戦国武将伝 第八回 真田信綱

真田家と言えば智謀の士のイメージが強いですが、今回紹介する真田信綱は武勇で知られていた人物です。信綱は幼い頃から父・幸隆(幸綱)と共に武田信玄に仕え、真田家の家督を継ぐと三尺三寸の大太刀を振るい武田家の勢力拡大に貢献します。また信綱率いる騎馬隊約200騎は信濃領主の中では最大であり、最強と謳われた武田騎馬軍の一角を担っていたことが分かります。今回は武勇によって真田の名を知らしめた信綱の活躍に注目していきたいと思います。
戦国時代

戦国武将伝 第七回 斎藤朝信

上杉謙信に仕えて「越後の鐘馗」の異名をとった斎藤朝信です。朝信は謙信政権下で政務奉行を務め、軍制上では上杉家精鋭部隊・七手組の隊頭でもありました。文武両方に優れた朝信は武骨者の多い上杉家にとって頼もしい存在であり、謙信の重臣として厚い信頼を受けています。今回は忠義、仁愛を重んじ、士卒をいたわり、百姓をいつくしみ万人から慕われた斎藤朝信の人生を追いかけて見ようと思います。
戦国時代

戦国武将伝 第六回 依田信蕃

本能寺の変の後、旧武田領である甲斐・信濃は空白地となり周辺大名の争奪戦が繰り広げられます。いわゆる「天正壬午の乱」です。最終的に徳川家康がこの戦いを制し、後の天下人への足掛かりを得るわけですが、そのきっかけを作ったのがこの依田信蕃です。彼は旧武田家臣でありながら主家滅亡後家康に仕え、甲斐・信濃を転戦。信蕃の活躍により徳川家は五ヶ国を領有する大大名へと成長します。これにより家康は秀吉と対等に小牧・長久手にて戦うことが可能となったのです。今回は家康の天下を陰ながら切り開いた男・依田信蕃の生涯に迫ります。
戦国時代

戦国武将伝 第五回 黒川晴氏

名門・奥州大崎氏に属し、伊達政宗の奥州制覇を打ち破った東北の名将です。黒川家は元々大崎家の支流であるため大崎の配下に思われていますが、実際には主君と家臣の関係ではなく、大崎領と伊達領の間に位置する黒川郡を領した独立した戦国大名でもありました。今回は伊達・大崎の間で知略を尽くし「大崎合戦」を制した晴氏とはどんな人物であったかスポットを当てていこうと思います。
戦国時代

戦国武将伝 第四回 長宗我部信親

「土佐の出来人」と称された長宗我部元親の嫡子で、幼少の頃より聡明であったため父や家臣達から将来を有望視されるものの、戸津川の戦いにて壮絶な戦死を遂げてしまう悲劇の若武者です。彼の死後、父の元親は情緒不安定となり、長宗我部家滅亡の遠因を作ってしまいます。今回はそんな将来を大いに嘱望されながらも無念の死を遂げた彼の生涯を見ていきます。
タイトルとURLをコピーしました