ヴィヴィアン・ウエストウッド UKパンクロック界の女王

ヴィヴィアン・ウエストウッド UKパンクロック界の女王サブカルチャー

ヴィヴィアン・ウエストウッド(Dame Vivienne Westwood, 、1941年4月8日 – )は、イギリスのファッションデザイナーおよび、ファッションブランドである。ブランドロゴは「宝珠」と「衛星」をモチーフにしたオーブ 。斬新なデザインのファッションで知られ,パンクロックバンド”セックス・ピストルズ”をプロデュースしたことで有名である。

時代を超えて人々を魅了し続けるファッションブランド「ヴィヴィアン・ウエストウッド」。誰もが一度は耳にしたことがあるブランドではないでしょうか。宝珠と衛星をモチーフにしたブランドロゴがトレードマークですよね。このヴィヴィアン・ウエストウッドを立ち上げたのはヴィヴィアン・イザベル・スウェアという女性です。また彼女にはパンクロックの女王という異名が付き、崇拝されていることをご存知でしょうか?彼女は80歳となった現在でも尚、アバンギャルドなスタイルを確立し続けています。そこで今回は、そんな魅力たっぷりのヴィヴィアン・ウエストウッドに迫ります。ブランド誕生の原点や歴史、パンクロックの女王と言われた理由などについてお話します。これであなたもヴィヴィアンに魅了されるはず!

ヴィヴィアン・ウエストウッドとは?

ヴィヴィアン・ウエストウッド

パンクという新しいファッションを作り出し、モードへと転身させたヴィヴィアン・ウエストウッド。印象的なブランドロゴやアバンギャルドなスタイルで人々をを惹き付け続けています。ここでは、そんなブランドやデザイナーの歴史や原点について迫ります。

生い立ちとマルコム・マクラーレンとの出会い

”パンクロックの父”マルコム・マクラーレン

綿工場で働く母と靴職人の家系である父との間に生まれた、ヴィヴィアン・イザベル、スウェア。家庭環境もあってか、幼い頃からファッションの虜でした。10代の頃にはクリスチャン・ディオールのスタイルに深く影響を受けたそうです。16歳で私立学校を卒業後、アートカレッジで銀細工やファッションについて学びます。ですが、労働者階級で女性である自分がアートで生活していけるかわからなくなり、教師を目指し始めます。その後結婚と出産を経て、彼女におおきな影響を与えた人物、マルコム・マクラーレンと出会います。彼の無政府主義政治団体での活動に影響を受け、彼女自身も反体制派の考えに転身していきました。そしてマルコムがブティックを開くと、彼女は教師を辞め、そこのデザイナーとして活動を始めたのです。

パンクファッションの原点となる

ヴィヴィアンとマルコム

時代は、ヒッピーファッションが全盛期の1970年前半。それに逆らうように、マルコムとヴィヴィアンが始めたブティックでは50年代のロックな洋服を扱いました。お店の名は「Let It Rock」。
新しいコンセプトの洋服をリリースする度に、お店の名前や内装を変えていたそう。店では、網目の粗いセーターや引き裂いたシャツなどの洋服が並びました。それらの、ポルノやSMを連想させるスタイルは前衛的で、パンクファッションの原点となりました。

ストリートからパリコレブランドへ

時を経て、1980年前半。瞬く間に「ヴィヴィアン・ウエストウッド」というブランドは英国を代表するスタイルに。アバンギャルドの象徴となりました。初のコレクションは、ロンドンのオリンピアのキャットウォーク。その後、コレクション発表の場をパリに移しました。これは英国人として、マリー・クワント以来二人目のことだそうです。

”ミニスカート”を発案したマリー・クヮント

マルコムとは13年間パートナーとして関係を築いていましたが、独立します。独立後も、クリエイティブでメッセージ性のあるスタイルを生み出し続けます。アバンギャルドと歴史や伝統を結びつけるファッションや洋服の上からコルセットを着用したスタイルなど。当初はパンクロックなテイストでしたが、時代とともにエレガントなアイテムも展開されるように。原点と言えるパンクスタイルを根幹に持ちつつ、顧客のニーズに合わせたスタイルに変化し続けています。彼女は今後、どのようなスタイルを世に送り出すのか、今後の動向にも期待ができますよね。ヴィヴィアンは洋服だけでなく、財布やアクセサリーなど数多くのアイテムも手掛けているのも特徴です。ぜひ、チェックしてみてはいかがでしょうか。

伝説的なバンド「セックス・ピストルズ」との関係

セックス・ピストルズのメンバーたち

ヴィヴィアン・ウエストウッドを語る上で、切っても切り離せないのがセックス・ピストルズの存在。パンクファッションが広まり、ヴィヴィアンがデザインした洋服が社会現象になった要因とも言えます。マルコムがパンクバンドの元祖である米国の「ニューヨーク・ドールズ」のマネージャーを務めたことがありました。米国の若者がパンクに熱狂しているのを目の当たりにした彼は、英国にも与えてみようと考えます。そこで、ブティックの常連客や店員などでオーデションを行い、メンバーを集めました。そのメンバーにヴィヴィアンがデザインした洋服を着せ、反社会的なバンドが結成されました。それが、セックス・ピストルズの始まりなのです。過激で反社会的なパンクロックは、社会に不満を抱える若者から絶大な人気を誇りました。彼らが注目されると同時に、彼らが着ていたヴィヴィアンの洋服にも注目が浴びるように。社会現象になるほど人気となったそうです。

有名なロゴマークに込められた秘密とは??

ロゴのモチーフとなった王杓

ヴィヴィアン・ウエストウッドと言えば、宝珠と衛星をモチーフにしたオーブと言われるロゴが特徴ですよね。このロゴに込められた意味をご存知でしょうか?これは、英国のエリザベス女王が携える王笏(おうしゃく)の先端に付いているオーブがモチーフとされています。そのオーブは輪で囲まれており、それは衛星を表現しているそう。女王の王笏という伝統的な意味と未来的な意味の衛星が融合し、ブランドの二面性を表しています。

まとめ

ファッションスタイルとして確立したパンクロック

英国を代表するアバンギャルドなスタイルを確立させたヴィヴィアン・ウエストウッド。その始まりは、マルコム・マクラーレンと始めたブティック「Let It Rock」からでした。そして、彼女の洋服を着たセックス・ピストルズは瞬く間に、英国の若者を熱狂させました。パンクファッションの火付け役となり、彼女のスタイルは社会現象にまで至りました。マルコムから独立後も、次々と前衛的なスタイルで世に大きな影響を与え続けました。伝統的な生地や形にアバンギャルドを織り交ぜる。パンクファッションにエレガントなスタイルを融合させる。これらの二面性がこのブランドの魅力と言えるでしょう。まさに、ブランドロゴに込められた伝統と未来という二面性にも表れていますね。ヴィヴィアン・ウエストウッドの魅力はまだまだ計り知れません。ですが、少しでも彼女の魅力を伝えられたなら嬉しい限りです。これからの彼女の活躍にも期待しましょう。

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