関羽や張飛たちの名前を考察してみた【偽名?改名?】

関羽や張飛たちの名前を考察してみた【偽名?改名?】三国志

中国四大奇書の一つであり、日本でも今なお人気の「三国志演義」。主人公である劉備は作中ではまさに「仁徳の人」のように書かれていますが、実際の劉備は任侠気質の人物であり、他の群雄たちからは「油断のならない人物」と見られていたというのが本当のようです。そんな劉備が旗揚げした頃から付き従った有名な武将といえば”関羽”と”張飛”ですが、彼らの”名前”について調べているといろいろ”?”と思ったことがあったので、今回はちょっと考察も兼ねて調べてみました。

関羽と張飛の名前について

桃園の誓い ※wikipediaより

物語である「三国志演義」の冒頭は劉備、関羽、張飛の三人が義兄弟の契りを結び、漢王朝復興のため戦乱に飛び込むところから始まるのですが、この作中屈指の強キャラでもある関羽と張飛の字(※あざな 姓と諱とは別の呼び名のこと)も含めたフルネームというのが「関羽雲長」と「張飛益徳」なんですけど、この二人の名前を見て思ったことがあります。

「なんか”羽”とか”雲”とか”飛”とか空(天)を連想させる名前だなぁ~」と。

実際、張飛の字(あざな)は歴史書である「三国志」では”益徳”であるのに、「三国志演義」では益徳から”翼徳”へと変更されており、なおさら”空”や”天”を強調する仕様へとなっています。

なんでこんな微妙な変更をしたんでしょうか?

関羽の偽名にまつわるエピソード

関羽雲長

ここでちょっと関羽の名前についてのエピソードについて触れたいと思います。

正史「三国志」によれば、「関羽、字は雲長。元の名は長生(常生?)、河東解の人である。亡命して涿郡に奔った。」と冒頭で記されており、諸説あるのですが、涿郡に亡命する際に名前を変更した可能性は高そうです。

また、「三国志演義」の元になった「三国志平話」にも関羽が偽名を名乗ったエピソードが記載されています。

故郷で人を斬って逃亡した常生(長生?)は関所で役人に止められて名を聞かれた。そこで関の額を見て常生は「姓は関」と答えた。「字も名乗れ」と役人に言われ、しばし空を見上げると雲が長く流れている・・・。常生は「字は雲長」と答えてその場を切り抜けたという。

作り話だとは思いますが、お尋ね者であり、偽名を使う必要は実際にあったのでしょうね。

劉備=劉邦を強調するため?

漢王朝高祖・劉邦

ここで最初の疑問であった「張飛の字は何故”翼徳”に変わった?」なのですが、これに関しては劉備=劉邦を強調するためであったといいます。

漢王朝を打ち立てた高祖・劉邦は”赤龍の子”であったとか、”竜顔”であったなどと言われていますが、古来から”竜”は中国の帝王の象徴であり、天下を取るべき人物の証でもありました。

そこに目を付けたのが講談師と呼ばれる職業の人たちです。物語を語って生計を立てる方たちですね。

もともと「三国志」は著者である陳寿によって後漢末時代から三国鼎立による出来事をまとめた歴史書ですが、簡素にまとめられています。人物の容姿に関しては”劉備は福耳で手足が長かった”や”関羽は髭が綺麗だった”などは書かれていますが、あまり詳細とは言えません。

中華帝王の証である龍のイメージ図

特徴がそれだけだと、どうも主人公である劉備らのパンチが弱いと。そこで、講談師らは主人公である劉備に”箔”を付けるべく天下人であり漢王朝の高祖である劉邦の”竜”の特徴を取り入れます。

”竜”=”天(空)”を司る生き物です。「関羽雲長」の名はほとんど”天(空)”を意味した名前ですが、「張飛益徳」だと「益徳」がちょっと”天”のイメージとかけ離れてますね。じゃあ「翼徳」にすれば結構”天”に近づくし、”竜”のイメージも連想しやすくなります。しかも、「益」と「翼」の発音は中国語ではほぼ同じだそうです。

時が経ち、明代に差し掛かるころには羅貫中によって読み物としての「三国志演義」がまとめ上げられると、さらに追加要素として関羽の装備に「青龍偃月刀」、張飛には「蛇矛」が装備されます。”蛇”は”竜”を連想させる生き物です。”青龍”は言わずもがなですね。

青龍偃月刀を携え馬に乗る関羽※wikipediaより

張飛に関しては容姿の特徴として「虎髭」なんかも追加されます。”虎”と”竜”の特徴を持つ武人二人を従える劉備…。「これはもう次の天下人に違いない。高祖劉邦の生まれ変わりだ!」と読者は思うわけです。

設定が盛りに盛りまくっているような気がしますが、「物語」としては最高の導入ですし、古今東西の英雄譚にはよくある「人物設定」ですね。(まぁ、残念ながら劉備の結末は違いましたが…。)

趙雲と諸葛亮

趙雲の像

関羽と張飛に続く、劉備軍の武将と言えば「趙雲」ですね。字を含めると「趙雲子竜」です。

また「雲」とか「竜」ついてますね…。一応、彼の諱(いみな)は「雲」で字(あざな)の「竜」は関連性があるから”おかしい名前ではない”みたいには聞いたのですが、あまりにも”キラキラネーム”のような気がするんですが…。なんかカッコよすぎのような気が…(汗)

関羽、張飛に次ぐ新メンバーが、またしても”竜”を連想させる人物です。偶然でしょうか?もし、本当に偶然で劉備の配下となったのであれば、まさに「運命」を感じさせます。

ただこの「趙雲」も関羽、張飛と同じく正史「三国志」の記述は少ない人物で、読み物としての「三国志演義」では大活躍する人物です。このあたりがこの三人のちょっと引っかかるところです。実像が見えないというか…。

諸葛亮

で、続きましてみんな知ってる天才軍師こと「諸葛亮」です。姓は「諸葛」名を「亮」、字は「孔明」。名前からは「竜」を連想することはないんですが、異名が「伏龍」とか「臥龍」ですね。

この人は上記の三人とは違って、諸説はありますが、前漢の諸葛豊の子孫とされているので、一応、出自は諸葛氏です。(※本家筋ではなく、傍系であったとも言われてます。)

孔明のことを「伏龍」「臥龍」に例えたのは荊州襄陽に住んでいた人物鑑定の名士である龐徳公(龐統の叔父)と言われています。龐徳公は孔明の他に龐統を「鳳雛」、司馬徽を「水鏡」とも名づけています。

龍と鳳凰は共に天子の兆しを表わす

その後、劉備陣営に”伏龍”こと諸葛亮と”鳳雛”こと龐統を迎えることになるのですが、”竜”の異名を持つ者がまたしても加わり、さらに”鳳凰の雛(ひな)”まで加入します…。

「なんか劉備軍ネームバリューすげえの加入しまくりじゃね?」と個人的に思ったのですが、どうでしょうか?二人の加入が偶然にしては”竜”ばかりのような気が…。(龐統にしても名前に”龍”が入っていますし…。)

実際のところはどうだったのか?

劉備の旧知である簡雍も”耿雍”から改名している(※wikipediaより)

「竜のイメージをもつ凄いヤツ」を従えていた劉備なんですが、偶然にしてはちょっと出来過ぎのような気がします。

で、ここからはあくまでも筆者の憶測なのですが、諸葛亮と龐統はともかく、「関羽」「張飛」「趙雲」の三者は”実際は改名した”のではないかと考えています。(関羽は元から偽名ですが…。)

黄巾の乱に乗じて義勇軍を結成した劉備の下に集まった主な人物は関羽、張飛、田豫、簡雍と言われていますが、関羽と張飛はその腕っぷしの強さから護衛に抜粋されます。

そこで劉備は自身の義勇軍の宣伝、及び、自身が高祖劉邦の風格を暗に備えていることを主張すべく「二人の名前を”竜(天)”を連想させる名前に改名させた、または二人が自ら改名した…。」

こういう憶測なのですが、どうでしょうか?(※関羽の”関”という意味に”閉まる”という意味もあり、張飛の”張”には”開く”という意味があり、対義語になっています。張飛が関羽に倣って名付けたのでしょうか?)

趙雲も同じ理由です。公孫瓚の配下として活躍していたとき、本当は全く違う名前であったが、劉備の配下となったとき「竜を連想させるカッコいい名前に改名した」と…。

諸葛亮と龐統に関しては”龐徳公が二人を伏龍と鳳雛に例えていた”というので、もともと称されていたとしても、関羽、張飛、趙雲に関しては上記の理由から”本当の名前ではない”と考えられるのではないでしょうか?

さいごに

今回はちょっと関羽と張飛らの名前からいろいろと考察してみたのですが、どうだったでしょうか?

もし本当に「彼らが偽名、改名していたからと言ってなんなんだ」と言われれば、それまでなんですが、実際に劉備が自らを”劉邦”と関連付けるために、今回挙げた武将らが改名したというのなら、なかなかの宣伝上手というか策士のように思えます。(まぁ、劉備の魅力が成せるワザなのかもしれませんが…。)

それと、これも憶測で申し訳ないのですが、正史「三国志」の著者である陳寿は「蜀書」を本当に正確に記したのでしょうか?自分の故郷である蜀漢を目立たせるために、経歴がはっきりしない人物には脚色を施した…。なんてことはないでしょうね(汗)

「蜀には史官がいなかったから災祥が記録されなかった」なんて書いてますが、実際に災祥に関しての記述があるので、なにか史官に関して不都合があったのでしょうか?

1800年前の中国史の人物名にあれこれ疑問を持っても仕方ないことかもしれませんが、本当のところはいろいろ気になります。今回の記事を読んだ皆さんの意見や考察もぜひ聞いてみたいところです。

タイトルとURLをコピーしました