三国志人物伝 第八回 阮籍

三国志人物伝 第八回 阮籍三国志

阮籍(げん せき、210年-263年)は、中国三国時代の思想家。字は嗣宗(しそう)
竹林の七賢の指導者的人物である。

竹林の七賢といえば魏政権の末期、俗世から離れ酒を飲み、清談を行った集団として有名です。
一般的に彼らは隠者の集団と見られがちですが、ほとんどの者が役職についていました。
しかし、当時は司馬一族が魏の実権を掌握していく過程であり、彼らは世の不正や陰惨な現実に憤りを感じていきます。そして、彼らは次第に俗世から超越した言動と行動を取り始め、自らの命を懸けて世の中への批判表明を体現していくのです。
今回はそんな七賢のリーダー格であった阮籍について紹介していきたいと思います。

魏の重臣達から士官を請われるも…

蒋済

後漢の建安15年(210年)、阮籍は兗州陳留郡尉氏県に生まれます。
幼い時についてはよくわかっていませんが、父は建安七子の一人、阮瑀です。
ただ阮瑀は212年に死去したと記載されているので、阮籍が幼い時に死別しています。
それからしばらくして、阮籍が士官できる年齢に達すると、蒋済が彼の下を訪れ召し出そうとしますが、阮籍はこれに応じようとしませんでした。蒋済は彼の態度に激怒しますが、阮籍の親戚たちが阮籍を説得したため仕方なく蒋済に仕えます。しかしやる気がなかったのか本当なのかは分かりませんが、病気を理由にして辞職します。その後、当時魏政権内でトップに君臨していた曹爽に誘われ、参軍となりますがこれもすぐ辞職します。
249年に司馬懿がクーデターにて曹爽一派を粛正すると、今度は司馬懿に請われ、従事中郎に任じらますが、阮籍はただ給料分の働きをするだけだったといいます。また、歩兵校尉の役所に酒が大量に貯蔵されていると聞いた阮籍はその職を希望し、竹林の七賢の一人である劉伶を呼んで勝手に酒盛りをしていたそうです。(この辺りは酒好きで有名な徐邈と通じるものがあります)

母親の葬儀にて

礼儀作法にうるさかった何曾

これは阮籍の母が病でこの世を去り、葬儀の日の出来事ことです。
自分の肉親が亡くなれば当時は儒教の礼法に従い、しばらくは喪に服すはずですが、阮籍はそんなことはお構いなしに大酒をたらふく飲み、肉を喰らい、母の亡骸が収められた棺にすがりつき、わんわんと大泣きし、終いには血を吐いてぶっ倒れる有様でした。それを聞いた後の晋帝国の丞相何曾は司馬昭にこれを報告し、阮籍を処罰するよう進言します。
司馬昭は彼を呼び出し問いただそうとしますが、阮籍がガリガリに痩せこけているのを見た司馬昭は、彼を哀れに思い罪を不問にしました。また別の伝承によれば、この時、阮籍は囲碁を打っており、母親が亡くなったと聞いても碁を打つのをやめなかったそうです。
ちなみに三国志の作者陳寿は父親の喪中に薬を服用していたのがバレて、世間から非難轟轟であったことを考えると、阮籍のこれらの行動はとんでもないということが分かります。

白眼視

白眼視する

また阮籍は青眼と白眼を使い分けることができたといいます。
彼は気に入らない人物に対しては白眼で対応し、気に入った人物に対しては青眼で対応したといいます。特に彼は偽善と礼儀を嫌っていたので、礼儀を重視する儒家の人間に対しては軽蔑を隠さず、白眼を向けて応対したと言います。
この逸話が転じて気に入らない人間を軽蔑することを「白眼視」と言うようになったと言います。
あまり使われませんが、親しい人を迎える際に喜びの眼差しを向けることを「青眼」と言います。

その後

阮籍肖像画

魏の景元4年(263年)、蜀討伐の準備が進む中、司馬昭を晋公に封じる詔勅が下されます。
司馬昭は形式通り一度は辞退したため、封爵を勧める勧進文が作成されます。
この時、司空の鄭沖は阮籍に勧進文の草稿を命じ、阮籍はそれに従い草稿を提出しました。
その後、阮籍はこの年の冬にこの世を去りました。阮籍は世の人を救う志を持っていました。しかし当時は司馬氏による帝位簒奪が進んでおり、政争に巻き込まれ命を失うものも数多くいました。
阮籍はそんな世情に嫌気がさし、酒浸りの日々を送ることを決めたと言います。
しかし、彼のこういった奇行や醜態は一種の自己防衛法であり、政治の風波を避けようとしていたのは事実です。
実際、阮籍は鍾会に門答を挑まれ、失言を誘うよう仕向けられますが、阮籍は狂人のふりをしてこの場をやり過ごしています。逆に竹林の七賢の一人で、阮籍と仲のよかった嵆康は鍾会から恨みを買っていたため、後に讒言を受けて殺されています。奇行が目立つ阮籍ですが、その一方で人生についての深い思索を行っており、『大人先生伝』『達荘論』などの優れた著作や詩も残しています。阮籍は、形式的な礼や偽善を嫌い、どこまでも人間の自然な心と生き方を愛した人物であり、その生き方や思想は唐代の詩仙李白たちへと受け継がれていくことになるのです。

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