西洋史

西洋史

マリア・テレジア ハプスブルク家の女帝 マリー・アントワネットの母

名家ハプスブルク家の家領を引き継ぎ、多民族国家でもあったオーストリア帝国をその政治的手腕によって中央集権化を果たした「女帝」マリア・テレジアです。宿敵となるプロイセン王フリードリヒ2世とは愛憎渦巻く関係ながらもオーストリア帝国存続の為に激戦を繰り広げます。一方で彼女は63年間の生涯で16人も出産しているという、とんでもない「肝っ玉母さん」でもありました。今回はまさに”母は強し”の人生を地で行った女帝の生涯を見ていきましょう。
アメリカ史

ハワイ王国最後の王位継承者 プリンセス・カイウラニ

日本人の人気海外旅行先といえばハワイですが、かつてはアメリカ領ではなくハワイ王国として隆盛を誇っていました。しかし近代に差し掛かると太平洋にまで勢力を拡大するアメリカには対抗できず対米従属を余儀なくされます。そして1893年1月17日、ハワイ王国はアメリカ系住民により崩壊させられることとなり、わずか100年足らずでハワイ王国は消滅への道を歩むこととなります。今回紹介するカイウラニはそんな激動のハワイ王国最後の継承者として短くも悲しい運命を辿ることとなります。美しくも儚いハワイ王国最後のプリンセスの生涯とは果たしていったいどんなものだったのかをみなさんと一緒に追っていこうと思います。
アメリカ史

グレート・ホワイト・フリート ~白船来航と明治日本~

幕末に来航したペリー率いる「黒船」は有名ですが明治時代末期に来航した「白船」に関してはあまり知られていません。当時アメリカは太平洋を重要視しておらず配備されていたのは巡洋艦一隻だけでしたが、日本が日露戦争にて勝利すると太平洋上のミリタリーバランスは一変し、アメリカは早急に新型艦隊の増産に着手し始めます。そして建造された16隻の戦艦はアメリカの海軍力を誇示すべく太平洋を横断し世界一周の航海を宣言します。このとき日露戦争にて疲弊していた明治政府はどのように彼らに対応したのか?また世界各国の反応はどのようなものだったのかに迫ります。
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