江戸時代

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国友一貫斎 【東洋のエジソンと呼ばれた江戸時代の奇才】

みなさんは「国友一貫斎」と言う人物をご存知でしょうか?江戸時代中期に活躍した発明家で、日本で初めて空気銃、反射望遠鏡の開発に成功しました。また月や土星、太陽と、星を観測した際のスケッチが残っていることから、物の発明だけでなく、天文学にも携わっていたことが分かります。江戸時代に様々な物の発見、発明をした国友一貫斎。本記事では、彼がどのような生涯を送ったのか見ていきます。
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長久保赤水 伊能忠敬より先に日本地図を作った男

皆さんは初めて日本地図を作った人と言えば誰を思い浮かべますか?やはり伊能忠敬でしょうか?たいていは社会や歴史の授業では、「伊能忠敬が最初に日本地図を作った」と習いますよね。 伊能忠敬が地図を完成させたは1821年。約17年という月日をかけて「大日本沿海輿地全図」を完成させます。しかし、日本には伊能忠敬よりもずっと前に地図を完成させた人物がいました。それが今回紹介する長久保赤水です。しかし知名度では後発の伊能忠敬が勝っている、なぜこのようなことが起きてしまったのでしょうか?本記事では初めて日本地図を作った長久保赤水の人生について解説していきます。
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松倉重政 島原の乱を引き起こした暴君

日本最大規模の一揆といわれる島原の乱(天草一揆)と聞いて、総大将の天草四郎(益田四郎時貞)が頭に浮かぶ方は多いと思いますが、反乱発生の原因を作ったとされる松倉重政をご存じの方は少ないのではないでしょうか。松倉重政はかつては大和国の戦国大名である筒井定次に仕えました。関ヶ原の戦いののち、大和国五条藩主に取り立てられ大名になります。さらに大坂夏の陣での戦功により肥前国日野江において4万3千石を与えられ出世を遂げました。一方、日野江藩主(のちの島原藩)となってからは、キリシタンの弾圧や厳しい年貢の取り立てなど領民の怒りを買い、島原の乱を引き起こす原因を作ってしまいます。今回はそんな浮き沈みのある人生を送った松倉重政の生涯を振り返ってみましょう。
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