2021-07

雑記

祝!当サイト50記事突破しました!

こんにちは。当サイト管理人の”figaro”です。突然ですが当サイトErudition arts(エルディション・アーツ)の掲載記事数が50記事を超えました!思い起こせば、去年の今頃”Word Press”に挑戦してみるもサーバー、ドメイン取得に関してさっぱりで右往左往して結局一番設定が簡単な”conoha・Wing”に加入、いざ記事の作成に取り掛かってみると、これがなかなか大変で、それでもやっと30記事書けたと思ったらパーマリンクの設定を全くしておらず修正、また、タイトルフォントの作成に挑戦してみるも、糞しょっぼいフォントしか作れず、ご無理を承知でプロの知人に作成をお願いするなど前途多難なことばかりでした…(汗)他にも挙げればキリがないのですが、こうやってなんとか皆さんにお見せできる形だけでも整えられてよかったです…。はい…(泣)
スポーツ

マグジー・ボークス マイケル・ジョーダンを相手にしたNBA最小のスーパースター

アメリカの4大プロスポーツといえば、野球、アメリカンフットボール、アイスホッケーそしてバスケットボールの四つです。その中で選手の年俸が一番高いものは、意外にもバスケットボールななのです。その理由のひとつは、プレーヤーの数が少ないからといわれています。莫大な収益を少ない人数で分配できれば、その分、選手の年俸は高くなるからです。そんな限られた人数で構成されるプロバスケットボールの世界にすごい選手が居たのをご存知でしょうか?その男の名はマグジー・ボーグス。アメリカのプロバスケットボールと言えば、身長190センチなんてあたりまえで、2メートルを超える選手も珍しくありません。ところが、マグジーの身長はなんと160センチ!160センチといえば日本の中学生でも大勢います。そんな日本の中学生ほどの身長のプレーヤーがコートを縦横無尽に駆け回って大活躍をしていたのです。今回はNBAで伝説となった彼についてに迫っていこうと思います。
カナダ史

フレデリック・バンティング 命を救う奇跡のホルモンを見つけた若き医師

今から約100年前の1922年1月11日、糖尿病に苦しむ14歳の少年のやせ細った体に、世界で初めてのインスリン注射が施されます。以来、糖尿病患者、特に死亡率の高かった若年層の患者の命のホルモンとなっているインスリン。このホルモンを発見したのが、カナダ人医師のフレデリック・バンティングです。彼は1923年に、共同研究者のジョン・ジェームズ・リチャード・マクラウド(英国)とともに最年少でノーベル生理学・医学賞を受賞し、当時の医学会に大きな寄与を果たしました。そんなオンタリオ州の片田舎で生まれた偉大な一青年の生涯を一緒に見ていきましょう。
スポット・観光地

SPring-8は日本にある! 世界に開かれた最先端の研究施設とは?

みなさんは国内外から研究者たちが押し寄せる「SPring-8」という研究施設が兵庫県にあるのをご存知ですか?SPring-8の直径約500mの大きな円形の巨大な研究施設です。世界に開かれた共用施設として国が管理をおこなっています。国によって、約1100億円の建設費用をかけて建てられ、施設の運転や、維持・管理費用には年間85億円〜65億円の予算がつけられています。これほど巨大な施設と莫大な費用のかかるSPring-8ではいったいどのような研究ができるのでしょうか?今回は日本が誇る最先端の研究施設「SPring-8」について詳しく解説します!
スポーツ

カルロス・カイザー 決してサッカーをしない伝説のサッカー選手

皆さんは、カルロス・カイザーという選手をご存知でしょうか?実はこの選手、かなりの異色の経歴の持ち主で、その「かなり」というのは、前例が無く、また現代でカイザーのようなキャリアを歩むのはほぼ不可能と言えます。実はこのカイザー、ほぼプレーをせず約20年間過ごしたという「異色の経歴の持ち主」なのです。いったいどんなプロサッカー人生だったのか、本記事で触れていきたいと思います。
スポット・観光地

日本最大の金山 佐渡金山400年の歴史を追う

佐渡金山は日本最大の金山です。慶長6年(1601年)に山師(山を歩き回り鉱脈を見つける職業)が開山し、平成元年(1989年)に休山するまで多くの金銀が発掘されました。その量、金78トン、銀2330トンにものぼり、金は全て貨幣へ加工され国の財政を大きく支えました。佐渡金山は相川金銀山とも呼ばれ、長きにわたり国が管理してきました。今もなお、長く掘られた坑道跡や水道跡、周囲に点在する金銀の精錬施設、鉱石や石炭を搬出した港などが残り、国の重要文化財に指定されています。今回は2021年現在、世界遺産候補にもなっている日本最大の金山、佐渡金山の歴史について紹介していきます。
サブカルチャー

アラジンは中国人だった? あなたの知らない千夜一夜物語の事実

2019年にディズニー映画実写版「アラジン」が公開され、大好評を博しました。2019年6月に公開されて以降、5週連続で動員数1位を取り続け、興行収入も100億円を突破した人気作品です。そしてアラジンの原作でもある「千夜一夜物語」。千夜一夜物語といえば、イスラム教を思い浮かべる方が多いかと思います。実際、「アラビアンナイト」とも呼ばれていますよね。しかし、アラジンは中国人だったという話があれば、あなたは信じるでしょうか?今回の本記事では、千夜一夜物語の真の事実について解説していきたいと思います。
日本史

来栖良 青い目をした日本兵パイロット

現在日本ではハーフ(混血)と呼ばれる方が芸能界などでも多く活躍されているので、珍しい存在ではなくなりつつありますが、第二次世界大戦当時は人種差別の概念は根強いものであり多くの”ハーフ”と呼ばれる人たちは己のアイデンティティに葛藤を抱えながら過ごしていました。今回紹介する来栖良は日米の混血児という立場ながらも多くの日本兵たちから信頼を勝ち取り、最終的に悲劇的な最後を遂げた人物です。今回はそんな”青い目をした日本兵パイロット”についてご紹介していこうと思います。
江戸時代

長久保赤水 伊能忠敬より先に日本地図を作った男

皆さんは初めて日本地図を作った人と言えば誰を思い浮かべますか?やはり伊能忠敬でしょうか?たいていは社会や歴史の授業では、「伊能忠敬が最初に日本地図を作った」と習いますよね。 伊能忠敬が地図を完成させたは1821年。約17年という月日をかけて「大日本沿海輿地全図」を完成させます。しかし、日本には伊能忠敬よりもずっと前に地図を完成させた人物がいました。それが今回紹介する長久保赤水です。しかし知名度では後発の伊能忠敬が勝っている、なぜこのようなことが起きてしまったのでしょうか?本記事では初めて日本地図を作った長久保赤水の人生について解説していきます。
南北朝時代

北条時行〜足利尊氏を悩ませた逃げ上手の若君〜

時は1333年。鎌倉幕府の滅亡後、政変に揺れる日本において、ひたむきに鎌倉奪還を狙う男がいました。その名は北条時行。彼は後醍醐天皇による倒幕運動「元弘の乱」で命を失った父・高時と仲間の仇を討つため人生のすべてを北条氏復興に注ぎます。2021年より週刊少年ジャンプで連載が開始された話題沸騰中の「逃げ上手の若君」でこの時行を知ったという方も多いのではないでしょうか?歴史の授業ではあまり触れられない人物だけに謎も多く、どんなことを成し遂げたのか知りたいという方も多いでしょう。そこで今回は「逃げ上手の若君」北条時行がどんな人物であったのかご紹介していきます。
タイトルとURLをコピーしました