フランス史

カリオストロ伯爵 ~稀代の詐欺師か?世紀の錬金術師か~

カリオストロと聞くとほとんどの日本人は「ルパン三世 カリオストロの城」を思い浮かべると思いますが、実在のカリオストロはどんな人物だったかというと、すぐに答えられる人はいないのではないでしょうか?稀代の詐欺師、錬金術師としてヨーロッパ国内を沸かせたカリオストロ伯爵とはどんな人物だったのでしょうか?
フランス史

ナポレオンはフリーメイソンだったのか調べてみた。

世の中で何か大きな事件が起これば、度々注目される秘密結社といえば「フリーメイソン」が有名ですが、実際に多くの歴史的人物が所属しており、陰謀論などのネタとしては尽きない存在となっています。そんな中、今回はフランス革命の動乱から皇帝まで登り詰めた英雄「ナポレオン・ボナパルト」が秘密結社フリーメイソンと関係があったのか少し気になったので記事にしてみました。
第二次世界大戦(太平洋大東亜戦線)

工藤俊作 ~敵兵を救助せよ!海の上のサムライ~

1941年(昭和16年)日米交渉も虚しく、日本、アメリカ両国は太平洋戦争へと突入。真珠湾強襲を皮切りに日本は戦局を有利に展開し、東南アジアへと軍を進めます。これを阻止すべく連合国軍はアメリカを中心としたABDA艦隊を結成し、ジャワ島周辺にて激戦を繰り広げます。この時、一人の日本人艦長が敵であるイギリス艦隊の漂流者たちを発見し、ある決断を下します。過酷な戦場において武士道精神を貫いた海の上のサムライをご紹介します。
江戸時代

ラナルド・マクドナルド【日本史上はじめてのネイティブ英語教師】

嘉永6年(1853年)黒船に乗ったペリーが来航した際に、幕府側の通訳として交渉に立ち会ったのが森山栄之助(もりやま えいのすけ)です。この森山らオランダ通詞に本格的な英会話のレッスンを施したのが、今回ご紹介するラナルド・マクドナルドという人物です。彼は日本史上はじめてのネイティブスピーカーの英語教師といわれています。彼の生い立ちから森山栄之助らに英語を教えることになった経緯をご紹介します。
戦国時代

長谷川等伯【桃山時代を代表する狩野派と並び立つ長谷川派の創始者】

織田信長や豊臣秀吉、徳川家康らが天下を平定するため、しのぎを削っていた時代。絵画の世界では、足利幕府の御用絵師となって以降、狩野派が大きな力をもっていました。この状況に独自の技法で道を切り開き、中央画壇に上りつめた男がいました。それが今回ご紹介する長谷川等伯です。 等伯が制作した作品を紹介しながら、彼の人生をふりかえってみましょう。
ロシア史

ロシアには青いサンタがいる?ジェド・マロースを調べてみた

子供たちにとって12月の一番のイベントと言えばもちろんクリスマス!寝ている間にサンタクロースが来て、そっとプレゼントを置いていってくれるのを待ちわびるものですが、このクリスマスでおなじみの「サンタクロース」。実はロシアには青い色をしたサンタがいるのをご存じでしょうか?今回はクリスマスシーズン到来ということでロシアのサンタと呼ばれる「ジェド・マロース」について調べてみました。
フランス史

シャルル・アンリ・サンソン 【人命を訴えた悲劇の死刑執行人】

現代の死刑廃止を主張する人々が論ずるようなことを18世紀終わり頃のフランスで考えていた人物がいました。しかもその人物は罪人に死刑を執り行うことを家業としていたのです。しかし、時代は国王の処刑を要求し、その人物は職務としてルイ16世の首を切り落としたのでした。激動のフランス革命の傍ら数奇な運命を生きたフランス、パリの死刑執行人、四代目シャルル・アンリ・サンソンについてお伝えします。
戦国時代

伊達秀宗【伊達政宗の跡を継げなかった初代宇和島藩主】

「伊達」といったらほとんどの方が、「独眼竜・伊達政宗」のイメージをおもちではないでしょうか。今回ご紹介する伊達秀宗は、伊達政宗の庶長子としてこの世に生をうけ、伊達家の家督を継ぐ者として育てられました。しかし、庶長子の身分と、人質として暮らしていた豊臣家の影響を色濃く残すことが災いしてか、徳川の世になると家督相続者から外されてしまいます。時代の流れに大いに翻弄された、伊達秀宗の生涯をふりかえります。
イギリス史

メアリ・シーコール 【ジャマイカ出身のもう一人のナイチンゲール】

19世紀に自身の記録、自伝を出版した稀有な女性、メアリ・ジェーン・シーコールについてお伝えします。スコットランド人とジャマイカ人の混血として生まれた彼女は、クリミア戦争に看護師として赴くことを願いますが、人種的理由により却下されてしまいます。しかし、それでもめげずに自力で戦場へと赴き、多くの負傷兵を助けたことで知られています。”もう一人のナイチンゲール”と呼ばれた彼女は一体どんな活動を行ったのでしょうか?
フランス史

ナポレオンはセントヘレナ島でどんな生活だったのか?

1812年のロシア遠征の失敗後、ヨーロッパ各国の反撃により、ナポレオンはエルバ島へと流されますが、1815年にエルバ島を脱出し祖国フランスへ帰国。再び皇帝の座へと返り咲きます。しかし、ワーテルローの戦いにて敗北し、絶海の孤島セントヘレナへと流され、二度とフランスの地を踏むことなくこの世を去ります。果たして、ナポレオンはこのセントヘレナにてどんな生活を送っていたのでしょうか?
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