戦国時代

長谷川等伯【桃山時代を代表する狩野派と並び立つ長谷川派の創始者】

織田信長や豊臣秀吉、徳川家康らが天下を平定するため、しのぎを削っていた時代。絵画の世界では、足利幕府の御用絵師となって以降、狩野派が大きな力をもっていました。この状況に独自の技法で道を切り開き、中央画壇に上りつめた男がいました。それが今回ご紹介する長谷川等伯です。 等伯が制作した作品を紹介しながら、彼の人生をふりかえってみましょう。
ロシア史

ロシアには青いサンタがいる?ジェド・マロースを調べてみた

子供たちにとって12月の一番のイベントと言えばもちろんクリスマス!寝ている間にサンタクロースが来て、そっとプレゼントを置いていってくれるのを待ちわびるものですが、このクリスマスでおなじみの「サンタクロース」。実はロシアには青い色をしたサンタがいるのをご存じでしょうか?今回はクリスマスシーズン到来ということでロシアのサンタと呼ばれる「ジェド・マロース」について調べてみました。
フランス史

シャルル・アンリ・サンソン 【人命を訴えた悲劇の死刑執行人】

現代の死刑廃止を主張する人々が論ずるようなことを18世紀終わり頃のフランスで考えていた人物がいました。しかもその人物は罪人に死刑を執り行うことを家業としていたのです。しかし、時代は国王の処刑を要求し、その人物は職務としてルイ16世の首を切り落としたのでした。激動のフランス革命の傍ら数奇な運命を生きたフランス、パリの死刑執行人、四代目シャルル・アンリ・サンソンについてお伝えします。
戦国時代

伊達秀宗【伊達政宗の跡を継げなかった初代宇和島藩主】

「伊達」といったらほとんどの方が、「独眼竜・伊達政宗」のイメージをおもちではないでしょうか。今回ご紹介する伊達秀宗は、伊達政宗の庶長子としてこの世に生をうけ、伊達家の家督を継ぐ者として育てられました。しかし、庶長子の身分と、人質として暮らしていた豊臣家の影響を色濃く残すことが災いしてか、徳川の世になると家督相続者から外されてしまいます。時代の流れに大いに翻弄された、伊達秀宗の生涯をふりかえります。
イギリス史

メアリ・シーコール 【ジャマイカ出身のもう一人のナイチンゲール】

19世紀に自身の記録、自伝を出版した稀有な女性、メアリ・ジェーン・シーコールについてお伝えします。スコットランド人とジャマイカ人の混血として生まれた彼女は、クリミア戦争に看護師として赴くことを願いますが、人種的理由により却下されてしまいます。しかし、それでもめげずに自力で戦場へと赴き、多くの負傷兵を助けたことで知られています。”もう一人のナイチンゲール”と呼ばれた彼女は一体どんな活動を行ったのでしょうか?
フランス史

ナポレオンはセントヘレナ島でどんな生活だったのか?

1812年のロシア遠征の失敗後、ヨーロッパ各国の反撃により、ナポレオンはエルバ島へと流されますが、1815年にエルバ島を脱出し祖国フランスへ帰国。再び皇帝の座へと返り咲きます。しかし、ワーテルローの戦いにて敗北し、絶海の孤島セントヘレナへと流され、二度とフランスの地を踏むことなくこの世を去ります。果たして、ナポレオンはこのセントヘレナにてどんな生活を送っていたのでしょうか?
朝鮮半島史

金玉均 【朝鮮近代化を目指した開化派のリーダー】

長きに渡る封建国家の影響力のために、近代化が遅れてしまった朝鮮半島。このままでは朝鮮が西欧列強の支配下に置かれるという危機を感じた開化派の人々は新政権を立ち上げ、朝鮮を近代国家とすべく奮闘します。今回紹介する金玉均も、この開化派のうちの1人です。近代化を目指した金玉均の壮絶な生涯を見ていきましょう。
アメリカ史

シービスケット 【全米を揺るがした奇跡の競走馬】

1938年、世界大恐慌時代。アメリカ国民が塗炭の苦しみに喘ぐ中、さほど体は大きくなく、どちらかというと不格好とも言える一頭の競走馬が競馬ファンのみならず全アメリカ国民に勇気を与えます。その馬の名はシービスケット...。この馬のオーナー、調教師、そしてふたりの名騎手とこの馬の織り成す奇跡のストーリーを今回はお届けします。
明治時代

中江兆民 〜東洋のルソーと呼ばれた男〜

1880年代、明治時代の自由民権運動の広がりに貢献した思想家「中江兆民」です。彼は、フランスの啓蒙思想家ジャン=ジャック・ルソーが著した「社会契約論」を翻訳したことでフランス流の自由民権論を広め、自由民権運動の理論的指導者となりました。これらの功績から中江兆民を「東洋のルソー」と呼ばれています。自由民権運動の指導者として活躍するいっぽうで、岩倉使節団の出仕として採用されたり、東京外国語学校の校長を務めるなど優秀な人物として知られています。しかし、性格は破天荒でたびたび奇行をしていたエピソードが残っています。今回の記事では、中江兆民の生涯と人物像をご紹介します。
インド史

ラクシュミー・バーイー 【インドのジャンヌダルクと呼ばれた王女】

1757年に始まったプラッシーの戦いの後、イギリス東インド会社はムガル帝国を傀儡化し、着々と植民地化を推し進めます。それから約100年後、イギリスの横暴から解放されるべくインド人による初の民族的反乱が勃発。その時、反乱軍の中心的存在となったのが今回紹介するラクシュミー・バーイーです。インド独立のために戦ったインドのジャンヌダルクとは如何なる女性だったのでしょうか?
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