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南北朝時代

北条時行〜足利尊氏を悩ませた逃げ上手の若君〜

時は1333年。鎌倉幕府の滅亡後、政変に揺れる日本において、ひたむきに鎌倉奪還を狙う男がいました。その名は北条時行。彼は後醍醐天皇による倒幕運動「元弘の乱」で命を失った父・高時と仲間の仇を討つため人生のすべてを北条氏復興に注ぎます。2021年より週刊少年ジャンプで連載が開始された話題沸騰中の「逃げ上手の若君」でこの時行を知ったという方も多いのではないでしょうか?歴史の授業ではあまり触れられない人物だけに謎も多く、どんなことを成し遂げたのか知りたいという方も多いでしょう。そこで今回は「逃げ上手の若君」北条時行がどんな人物であったのかご紹介していきます。
イタリア史

ジュゼッペ・ガリバルディ ~イタリアを統一に導いた英雄~

19世紀の半ば、日本では徳川幕府が弱体化し列強からは開国せよと圧力をかけられ、国内の到幕勢力もじわじわと力を増していた頃、ヨーロッパ諸国も実は揺れていました。フランス革命、それに続くナポレオン戦争で各国が動揺したあとに、なんとかウィーン会議で元に戻せたかと思いきや、共和主義思想の浸透を止めることはできていなかったのです。特に小国分立で国力が衰える一方であったイタリアでは統一国家の樹立を図ろうとする運動が起こります。それを阻止したいベネチア、ミラノ、フィレンツェ、ナポリなどの諸侯や教皇庁はオーストリアなどの有力な近隣諸国を後ろ楯に対抗します。そこに現れたのが天才軍略家ジュゼッペ・ガリバルディでした。イエス・キリストにも似た容貌の彼は多くの民衆の支持を得、幾多の戦いに勝利しイタリア統一に多大な貢献を成し遂げたのです。さっそく彼の運命とイタリア統一の動きを追ってみましょう。
サブカルチャー

ヴィヴィアン・ウエストウッド UKパンクロック界の女王

時代を超えて人々を魅了し続けるファッションブランド「ヴィヴィアン・ウエストウッド」。誰もが一度は耳にしたことがあるブランドではないでしょうか。宝珠と衛星をモチーフにしたブランドロゴがトレードマークですよね。このヴィヴィアン・ウエストウッドを立ち上げたのはヴィヴィアン・イザベル・スウェアという女性です。また彼女にはパンクロックの女王という異名が付き、崇拝されていることをご存知でしょうか?彼女は80歳となった現在でも尚、アバンギャルドなスタイルを確立し続けています。そこで今回は、そんな魅力たっぷりのヴィヴィアン・ウエストウッドに迫ります。ブランド誕生の原点や歴史、パンクロックの女王と言われた理由などについてお話します。これであなたもヴィヴィアンに魅了されるはず!
健康・心と身体

養命酒の効能を調べてみる ~冷え性・夏バテ・虚弱体質に~

「薬用養命酒」というと、誰でも一度は聞いたことがあるかもしれません。「養命酒」は400年の歴史のある日本の薬用酒です。体にいろいろな効能があるお酒で、とくに「体が疲れやすい」というときに効果を感じる方が多いようです。ほかにも食欲がないとき、手足の冷え、体調が気になるときなどおすすめの薬用酒です。養命酒には2種類の大きさがあり、 1000mlと700mlから選んでもらえます。
戦国時代

果心居士 戦国大名たちを惑わせた幻術士

漫画・ドラマで『信長のシェフ』を見たことがある方やゲーム『信長の野望』をプレイしたことがある方は、果心居士という人物を知っているのではないでしょうか。『信長のシェフ』では、平成から戦国時代にタイムスリップした男が果心居士を名乗り、妖術を使い処刑の場から脱出したことが描かれています。また『信長の野望』では忍者の出自で、鬼謀という所持戦法を使用し、敵を恐慌状態に陥れる術を使い、知略に優れた人物として設定されています。この果心居士は、戦国時代においてはよく知られた術者でしたが、生まれた年も亡くなった年も、どこで生まれたかも定かではありません。今回は多くの謎に包まれた彼の逸話をご紹介します。
日本史

白鳥由栄 昭和の脱獄王 4度の脱獄に成功した男

「昭和の脱獄王」の異名を持つ白鳥由栄は”脱獄不能”と言われていた4つの刑務所から脱獄を敢行し、看守の間では「一世を風靡した男」とも言われた人物です。身長は157㎝と当時としても小柄な体格でしたが、収監中に手首につけられた鎖を引きちぎったり、身体中の関節を自在に外したりと、とんでもない特異体質な人間でもありました。またこの白鳥由栄も前回紹介した伝説の柔道家牛島辰熊と同じく人気漫画「ゴールデンカムイ」の登場人物である”白石由竹”のモデルでもあります。はたして脱獄と収監を繰り返した脱獄王とはいったいどんな奴だったのでしょうか。
カナダ史

カナディアン・チューリップ・フェスティバルの起源 カナダとオランダの友情の証

『チューリップの国』と言えばオランダ。でも、カナダの首都オタワでも毎年100万本のチューリップが咲き誇り、5月には世界最大級のチューリップ・フェスティバル『Canadian Tulip Festival』が行われているのです。このチューリップ・フェスティバルは来年2022年に70周年を迎えます。では、このフェスティバルはいったいどのようにして始まったのでしょうか?その背景にはチューリップの国オランダとカナダとの温かい友情と人道支援の深い歴史があったのです。
幕末

武田物外 幕末の志士たちを唸らせた怪力和尚

身長173センチメートル、体重63キログラム。江戸時代の男としては十分立派な体格ですが、現代ではそれほど特別サイズではありません。しかし曹洞宗禅僧にして武芸者、剣術、柔術、鎖鎌、槍術に優れ、そして700キロはあるとおもわれる寺の梵鐘を担ぎ上げ、碁盤に拳を打ち込んで1.5センチの凹みをつくるという怪力の持ち主。そんな途方もない男が実在したのです。その名は武田物外(たけだもつがい)。新選組局長・近藤勇をも圧倒した拳骨和尚。その生涯をお伝えします。
江戸時代

松倉重政 島原の乱を引き起こした暴君

日本最大規模の一揆といわれる島原の乱(天草一揆)と聞いて、総大将の天草四郎(益田四郎時貞)が頭に浮かぶ方は多いと思いますが、反乱発生の原因を作ったとされる松倉重政をご存じの方は少ないのではないでしょうか。松倉重政はかつては大和国の戦国大名である筒井定次に仕えました。関ヶ原の戦いののち、大和国五条藩主に取り立てられ大名になります。さらに大坂夏の陣での戦功により肥前国日野江において4万3千石を与えられ出世を遂げました。一方、日野江藩主(のちの島原藩)となってからは、キリシタンの弾圧や厳しい年貢の取り立てなど領民の怒りを買い、島原の乱を引き起こす原因を作ってしまいます。今回はそんな浮き沈みのある人生を送った松倉重政の生涯を振り返ってみましょう。
南北朝時代

懐良親王 ”日本国王”となった超・武闘派皇子

明治維新、時の政府は徳川武家政権を倒し、一時的にせよ天皇親政の形式をとったものであったことから、いにしえの後醍醐天皇の建武の新政を神聖視し、それにかかわるモニュメントを多数作りました。皇居前に忠臣、楠木正成像が置かれたことはそのひとつの象徴です。さらに後醍醐天皇自身やその親王らを祀る神社がいくつも創建されました。「建武中興十五社」と呼ばれています。後醍醐天皇を祀る吉野神社、尊良、恒良両親王を祀る金崎宮、護良親王を祀る鎌倉宮などは有名ですね。九州、熊本県八代市にも懐良親王を祀る八代宮があります。八代には懐良親王の墓所があり、地元民からの強い創建運動が起り明治政府がそれを認めたのでした。その懐良親王とはどんな親王だったのでしょうか。武に優れそして文にも優れた親王についてお伝えします。
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