西洋史

マリア・テレジア ハプスブルク家の女帝 マリー・アントワネットの母

名家ハプスブルク家の家領を引き継ぎ、多民族国家でもあったオーストリア帝国をその政治的手腕によって中央集権化を果たした「女帝」マリア・テレジアです。宿敵となるプロイセン王フリードリヒ2世とは愛憎渦巻く関係ながらもオーストリア帝国存続の為に激戦を繰り広げます。一方で彼女は63年間の生涯で16人も出産しているという、とんでもない「肝っ玉母さん」でもありました。今回はまさに”母は強し”の人生を地で行った女帝の生涯を見ていきましょう。
日本史

ジョルジュ・ビゴー 明治日本を見つめたフランス人画家

日本の義務教育を受け、歴史の教科書を手に取ったことがある人なら一度は見たことがある明治日本の風刺画はこのビゴーによって描かれたものがほとんどです。我々の知るビゴーのイラストの多くは日本を蔑視・批判したようなものが多いため、彼が反日本的な人物と思いがちですが、日本で撮影した写真から見て分かるとおり彼自身は大の親日家でした。彼は日本に滞在した17年間で懸命に働く庶民の姿と美しい景観をつぶさに記録しており、繊細で色鮮やかな作品も多く残しています。彼が描いた風刺画の批判は悪魔で日本の急進的な西欧化であり、日本という国自体には深い愛情を抱いていたことがわかります。今回はそんなちょっと変わったあるフランス人画家の人生を辿っていきたいと思います。
アメリカ史

ハワイ王国最後の王位継承者 プリンセス・カイウラニ

日本人の人気海外旅行先といえばハワイですが、かつてはアメリカ領ではなくハワイ王国として隆盛を誇っていました。しかし近代に差し掛かると太平洋にまで勢力を拡大するアメリカには対抗できず対米従属を余儀なくされます。そして1893年1月17日、ハワイ王国はアメリカ系住民により崩壊させられることとなり、わずか100年足らずでハワイ王国は消滅への道を歩むこととなります。今回紹介するカイウラニはそんな激動のハワイ王国最後の継承者として短くも悲しい運命を辿ることとなります。美しくも儚いハワイ王国最後のプリンセスの生涯とは果たしていったいどんなものだったのかをみなさんと一緒に追っていこうと思います。
春秋時代

重耳~春秋五覇の筆頭となった漂泊の覇者~

晋の献公の次子として生まれながらも国内の政争に巻き込まれ古代中国をほぼ一周し、遂に天下の覇者となった文公こと重耳です。各国を放浪中、一時は物乞い同然にまで身を落とすほど困窮しますが、時の有力者である斉の桓公、楚の成王、秦の穆公たちの協力を受けて重耳は少しずつ覇者としての器を磨いていきます。そして19年の歳月をかけて己の祖国に帰国するというとんでもない経歴の持ち主ですが、彼の人生を追うと正に覇者になるべくしてなった人物であることが分かります。今回はそんな春秋五覇の筆頭となった重耳の長い長い旅路を巡っていこうと思います。
戦国時代

千利休の高弟と兄弟子~山上宗二と丿貫~

茶聖と謳われた千利休ですが彼を語る上で欠かせないのがこの二人です。宗二は利休に長きにわたって茶を習い、後に天下人となった秀吉の茶匠となるも次第に不和となり非業の死を遂げることになります。一方の丿貫は若き頃より利休と共に茶道を極めるも当時盛行していた高額な茶器などは用いず、独自の茶道を追及しその清貧の中で茶の本来のあり方を世間に提示しています。今回はそんな茶の道を追及した両者について見ていこうと思います。
アメリカ史

グレート・ホワイト・フリート ~白船来航と明治日本~

幕末に来航したペリー率いる「黒船」は有名ですが明治時代末期に来航した「白船」に関してはあまり知られていません。当時アメリカは太平洋を重要視しておらず配備されていたのは巡洋艦一隻だけでしたが、日本が日露戦争にて勝利すると太平洋上のミリタリーバランスは一変し、アメリカは早急に新型艦隊の増産に着手し始めます。そして建造された16隻の戦艦はアメリカの海軍力を誇示すべく太平洋を横断し世界一周の航海を宣言します。このとき日露戦争にて疲弊していた明治政府はどのように彼らに対応したのか?また世界各国の反応はどのようなものだったのかに迫ります。
サブカルチャー

セーラームーンが世界的に大ブレイクしたワケ

「月に代わっておしおきよ!」の名台詞と共に90年代の少女漫画の金字塔として社会現象ともなったセーラームーンですが、その人気は国内だけにとどまらず世界へと広がり現在も多くの女性に支持されています。また欧米での「OTAKU」文化はこのセーラームーンから始まったとも言われており、日本のアニメーション産業を拡大させた立役者という面も持ち合わせています。今回はそんなセーラームーンが何故ここまで世界に受け入れられたのかに迫っていきたいと思います。
南北朝時代

足利直冬~将軍に背いた御落胤~

古今東西、時の権力者には御落胤(隠し子)の噂というものは絶えないものですが、今回紹介する足利直冬は尊氏から長い間実子と認知されず、最終的に父親に真っ向から弓を引いたという日本史において大変珍しい人物ですが、武将としての力量は父・尊氏に劣らず優秀であり、もし直冬が正式な嫡子として誕生していたなら南北朝の動乱もここまで激化しなかったのではないでしょうか。今回は将軍の御落胤として実父を最後まで苦しめた叛逆の貴公子の生涯に迫ります。
三国志

張仲景 三国志に登場しない伝説の医聖

三国志を代表する医師といえば「神医」と称された華佗が有名ですが、この張仲景は「医聖」と称され東洋医学の進歩に大きな寄与をした人物として知られています。また歴史書「三国志」には彼に関しての活躍の記述はありませんが、張仲景は自らの治療経験や病気の症状などを詳細に記録した「傷寒雑病論」という書物を書き残しています。一方の華佗はこのような書物を残してはおらず、張仲景の著書を読んだ華佗は大変驚いたという話もあります。今回は歴史の表舞台の裏で多くの患者を救い後の世に大きな功績を残した張仲景について調べていきたいと思います。
日本史

牛島辰熊 鬼と言われた伝説の柔道家

「鬼の牛島」と呼ばれた伝説の柔道家・牛島辰熊です。「柔道」と言えば現在はオリンピックの種目にもなっている格闘技、またはスポーツの一種という感じですが、当時の柔道は戦場における殺人術の一種という認識であり「敗北」=「死」でもありました。牛島の思想も正にそれであり、常に己の命を賭けて試合に挑むというスタイルを貫いていました。また余談ですが、人気漫画「ゴールデンカムイ」の登場人物・牛山辰馬のモデルとも言われています。想像を絶する練習と愛する弟子との出会い...。果たして「鬼」と言われた男の人生とはいかなるものだったのでしょうか?
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